2013年07月30日
タマチョレイタケの顔
こんばんわ。きのっきーです。
きのこの栽培において大事なことの一つに基礎資材選びがあります。
基礎資材ってのは要するに一番の大本になる「木」ですね
例えば原木にするとか、菌床なら針葉樹や広葉樹など・・・
さらに木の種類も重要になります。

現在試験中の「タマチョレイタケ」も色々な広葉樹を集めて試験しています。
昔に比べ資材の値段も跳ね上がってるし、震災以降国産の広葉樹も中々手に入れにくい状況で試行錯誤の日々ですね
前置きはここまでで・・・(笑)
今回は3種類の広葉樹おが粉で栽培してみました。
基本的な栄養資材や配合・水分量は殆ど変わらないようにしてあります。
そして栽培されたタマチョレイタケが・・・

これが基本資材A

これがB

そしてC
少々分かりづらいかもしれませんが、傘の大きさや色具合・茎の太さ・収量どれもぜんぜん違います。
全体の平均値を算出して試験の結果今のところは資材Aが優秀な様子です。
中々良い資材が見つからない中、発生率や収量面で期待が持てますね^^

タマチョレイタケは非常にデリケートで栽培もとても難しいので生鮮での常時販売はまだまだ時間がかかりますが、乾燥品を富士きのこセンターオンラインショップで販売しています。
煮物・汁物に良いダシが出るのでオススメですよ。
きのこの栽培において大事なことの一つに基礎資材選びがあります。
基礎資材ってのは要するに一番の大本になる「木」ですね
例えば原木にするとか、菌床なら針葉樹や広葉樹など・・・
さらに木の種類も重要になります。
現在試験中の「タマチョレイタケ」も色々な広葉樹を集めて試験しています。
昔に比べ資材の値段も跳ね上がってるし、震災以降国産の広葉樹も中々手に入れにくい状況で試行錯誤の日々ですね
前置きはここまでで・・・(笑)
今回は3種類の広葉樹おが粉で栽培してみました。
基本的な栄養資材や配合・水分量は殆ど変わらないようにしてあります。
そして栽培されたタマチョレイタケが・・・
これが基本資材A
これがB
そしてC
少々分かりづらいかもしれませんが、傘の大きさや色具合・茎の太さ・収量どれもぜんぜん違います。
全体の平均値を算出して試験の結果今のところは資材Aが優秀な様子です。
中々良い資材が見つからない中、発生率や収量面で期待が持てますね^^

タマチョレイタケは非常にデリケートで栽培もとても難しいので生鮮での常時販売はまだまだ時間がかかりますが、乾燥品を富士きのこセンターオンラインショップで販売しています。
煮物・汁物に良いダシが出るのでオススメですよ。
2013年06月21日
きのこの昔
こんばんわ。きのっきーです。

たまには真面目に?きのこの事を書いてみようと思います。
テーマは「きのこの昔」
日本人はいつからきのこを食べていたか知っていますか?
正確にいつからと言うのは分かりませんが、おそらく縄文時代の中期後半から後期前半頃と言われています。
と言うのも縄文版きのこ見本と思われる土製品が東北地方で発掘されています。
文献できのこに関するものは奈良時代になりますが、日本書紀には吉野の国栖人が応神天皇に土地の産物であるきのこを献上したと記されているそうです。
平安時代には古今和歌集等に貴族がマツタケ狩りを楽しんでいた事を詠んでいたりします。
平安時代の後期には今昔物語にヒラタケにまつわる話がでているそうです。当時はマツタケもヒラタケも貴重なものとして認識されていたようですね^^

桃山時代になると武士もマツタケ狩りを楽しむようになり一般庶民がマツタケを食べるようになったのは江戸時代~らしいです。
きのこの調理法は昔から定番の汁物・煮物・焼き物が主だったとされています。
きのこを人工的に栽培し始めたのは江戸時代後期になってからだと思われます。
それより以前は完全に運任せなところがあるので人工栽培じゃないのかな?(江戸時代の頃も運任せ感たっぷりですが・・・)
明治・大正になると今の原木栽培の原型が見えてきます。
現代の菌床栽培は昭和中期に長野県でエノキの栽培が成功したが始まりみたいですね
ざっくりと書いてみましたが、日本人はきのこ好きで民族としての食文化の特徴と言えますね^^
たまには真面目に?きのこの事を書いてみようと思います。
テーマは「きのこの昔」
日本人はいつからきのこを食べていたか知っていますか?
正確にいつからと言うのは分かりませんが、おそらく縄文時代の中期後半から後期前半頃と言われています。
と言うのも縄文版きのこ見本と思われる土製品が東北地方で発掘されています。
文献できのこに関するものは奈良時代になりますが、日本書紀には吉野の国栖人が応神天皇に土地の産物であるきのこを献上したと記されているそうです。
平安時代には古今和歌集等に貴族がマツタケ狩りを楽しんでいた事を詠んでいたりします。
平安時代の後期には今昔物語にヒラタケにまつわる話がでているそうです。当時はマツタケもヒラタケも貴重なものとして認識されていたようですね^^
桃山時代になると武士もマツタケ狩りを楽しむようになり一般庶民がマツタケを食べるようになったのは江戸時代~らしいです。
きのこの調理法は昔から定番の汁物・煮物・焼き物が主だったとされています。
きのこを人工的に栽培し始めたのは江戸時代後期になってからだと思われます。
それより以前は完全に運任せなところがあるので人工栽培じゃないのかな?(江戸時代の頃も運任せ感たっぷりですが・・・)
明治・大正になると今の原木栽培の原型が見えてきます。
現代の菌床栽培は昭和中期に長野県でエノキの栽培が成功したが始まりみたいですね

ざっくりと書いてみましたが、日本人はきのこ好きで民族としての食文化の特徴と言えますね^^